冷えた夏みかん

日々妄想、問答。

皆さんが聞きたい事2

弟のことですが、私が15歳で統合失調症と診断され、家にいるようになってから、家事手伝いとバイトをしていたのですが、昔から変な子でした。

 

うん、発想力は良いし面白いとは言われる。ただ本当の兄弟にダメ出しが多く、従兄たちに懐いて兄と私には寄ってこない。

私が家のことを幾らしても「まだ出来てない!さぼるな!」と偉そうに口出し。

母もはっきり言って甘やかして育てたので、優先順位が可笑しくなっていたのだと思います。

怒るにも、「〇ちゃーん」と猫なで声。いつも私と兄は怒っていました。

 

その内、受験戦争になり、進学校に入学したは良いものの、先輩方に締められたらどうしようとか気にしすぎて挙動不審&それと相反する不良への憧れ。

ケータイ会社から盗んだケータイの模型など見せびらかすので、「返してこい!」と父一喝。

この頃から思えば言うことを聞きませんでした。本当には謝らない感じ。

 

その内夏休み前になり、突然帰って来て部屋に行き、ワーッと泣くので、どうしたんだ!と聞いても答えない。

落ち着いて聞けばテストの順位が下がった。大学行けないかもしれないと。

 

は?でした。

 

そんなことで泣くか、普通。

それから奴の猛勉強は始まり、この頃でしょうか、空中で見えない敵?と会話し、叫んで怒鳴り散らし、近所からうるさーいと言われ、自分で変になったくせに、何もかも病気の私のせい。

私はあいつのせいで地元で評判が最悪になり、どこも歩けなくなりました・・・。

今思い出しても殺したくなります。

 

友達を得るために、兄弟を犠牲にしたんですからね。

 

母をこき使い、母はガリガリにやせ細って、父は相変わらずの無関心。というか、叔父が倒れてしまい、父は会社のことで手一杯でそれどころじゃなかったんですね。

先住犬が死んでしまい、悲しい所に今の子がやってきて、少し幸せになったのに、あいつの「生き物の命を玩具扱いしてる」だのなんだの言われてこっちは最悪の心境でした。

 

てめえ前の子の散歩一回も行かなかったし最後まで世話見たの私だぞ、てめえが何したってんだよ。

 

そう心の声を押し隠し、私は必死に奴を精神科へ連れていくことを言っていたのに、両親は目先の欲にかられてあんな状態の奴を大阪の関西大学へとやってしまい、あーあ、もうどうなっても知らないよ、と私はとりあえず安泰の日々を送りだしました。

 

奴がしたこと。

一年目、春に「お洒落な服が無い」と部屋で腐り、父母にブランド物を買わせました。

金ばっか使った。金ばっか使った。

それからも奴は金を使う生活で、自分で家のことも考えていたらしく働いたりしていたのですが、帰って来たと思ったら家族に偉そうに説教。要するに憂さ晴らしです。

自分は虐められてる。あっちはこんなことを言われる世界だ。お前ら体験したことないだろう、なんたって大学行ってないもんな。これ。

 

大嫌いでした。はっきり言います。大嫌いでした。

 

だから帰って来ても口きかなかったし、部屋に居て心配そうなの装っているのでずーっと寝たふりして無視。

 

その内連絡も取れなくなり、帰って来なくなって一安心。

そして大阪に行ったころ、事件は起こったのです。

 

それは、以下略。

奴は搾取されてました。自転車を買えば後輩にあげてしまい、財布代わり当たり前、振られた傷で自殺まで考える始末。

この頃付き合ってた子らに集団ストーカーのことを吹き込まれたらしく、ずーっと嫌がらせに会ってたらしく、その内堀北真希を名乗るおっさんとメールしだす始末。

芸能界にあこがれがあったらしく、はい、ここで芸能プロダクション詐欺勃発。

電車で声かけられて、「早稲田まで出てもらわないと困る」と言われ、猛勉強開始。

 

馬鹿です、馬鹿。

 

詐欺を見抜けないほどには、馬鹿。

 

とりあえず今は私たちの手元にいて、殺すだのなんだの言ってくださった大阪とは絶縁状態です。

いつも歩いては、「あんたが悪い人間だから言われるに決まってんじゃん」と礼儀作法を教える日々。

 

火のない所に煙は立たない。

 

弟は本当の意味で優しくなりました。

今ではもう、許すしかないか、そう思えます。

では。