繊細だった中学時代
私は昔から安房直子の絵本が好きで、絵本マニアで道徳の時間など特に好きだった。
だから中学から始まった他者への意味のない「キショイ」とかいう言葉遣いや、ネットスラングが横行するのが耐えられず、心の病気になってしまった。
私は目下、試されている。
この世の中が悪いのであって、私が悪いわけではない。
昨日も赤ちゃんを見ていたが、肝心の迎えがなかなか来ず、赤ちゃんはずっと泣いていた。見ていて可哀想だった。
しかしそうとも言ってられない現実がこの子達にはあるのだ。
お陰様の精神で育った私には、いや、無理やりお陰様を通して卑しい連中を煙に巻いてきた私には、それくらいわかる。
自分が同時に恵まれているということも痛いほどわかる。
しかし病気にはなってしまった。
相手がいるなら刺し違えてでも「やめろ!!」と父なり母なり、飛び込んでいくだろう。私もそうだ。
しかし相手がいないのだ、どうしようもない。
私は立場上リアルな現実を知っていなくてはいけないらしく、それは大人なら誰しも当たり前だけど、もう母の顔と私の顔とを見比べて、「ブサイクやなあ、お前嫌いや」というのなら最初から近づいてくるなよ、おこぼれが欲しくて私に寄るな、と思う。
私は別にプロポーションいいし顔も尖ってて好きな顔をしているので、別にこの言葉になんらへこたれることはない。
しかし、ブサイクな男と女に「ブサイクやなあ」と言われたら、最近は「お前がな」と心のなかで呟くようにしている。
ギャグに昇華してくれる頭のいい人はいいのだ。
しかし本気になって切れているアホを見ると、「アホやなあ、馬鹿だなあ」と思わないでもない。
不細工とは多分に面白い言葉なのだ。噛めば噛むほど味が出る。それを無下にしてしまって、鼻高してたら、お前こそ「つまらん奴やなあ、おもろないわ」。
頭が悪いなあ、と思う人に対しての言葉です。
ちなみに私の地元はヤンキッシュコメディが炸裂してて、いじられますが退いてと手で示すと道を開けてくれるくらいには優しいです。
のほほんとした城下町。
他県のえらい気の荒い事件など見ていて、「こわー」と眉を潜める皆さんは、選挙カーでえらい演説をし、「孫を、孫を守ります!」と来てから、パトカーがうーうー唸り、その後で飲み屋の兄ちゃんがワイワイガヤガヤと騒いで終わりです。
後、お祭りが開催されます。
市民だけの、特別なお祭り。
なんてことない日常です。でもどこか温かな、そんな日常、ここにあります。
学歴社会だからいじりはすごいけどね。