言うのも何だが、ラックライフ頑張れ
こんなこと書くのも何ですが、ラックライフ頑張れ。
目下ファンです。
さて、私は病に倒れた弟と昼間を過ごし、その観察記録をカクヨムにて執筆させていただきました。
宇宙人に教えを説いた。一応連作です。
はーあ。
この世は頑張らなくちゃいけないことばっかりだな。普通の人間なら頑張る事前提で当然だ。楽して進むことなどない。何度も転んで、それで上手くなるらしい。そういうことだと目上の人に教えられた。
私は先ほど、嫌なことをしてしまった。あれは本当に嫌なことだ。嫌なことは波及していく。これじゃ駄目だ。良いことを広げなくては。見ても聞いても良い心地のすることを行う義務が人間にはあるのだ。普通に生きていきたいならば。
繋がりやすい世の中になったから、どこにでも目はあって、私たちは行動を改めなければいけない。気を付けて動かなくては。これからの子供達にはそう教えてほしい。悪事を行えなくなったぞと。見てますよと。
そんなだから嫌な目に遭い続けた人にもきっと救いはあって、気の持ちようでどうにでもなれる世の中だから、独りぼっちになることは無い。絶望は取り除かれたと伝えたい。
気持ちが腐らぬよう、腐りやすい私は心を磨きなさいと目を付けられたのだと仮定すれば、とても物事がスムーズに進む。
だって自分から起こさない限り、悪さをする人っていないもの。
私の心掛けが悪いのが悪い。いつも過ごしていて、そう思う。
全部が全部私のせいだなんて言う訳じゃないけど、機会は与えられたのだから、奇跡ともいえるこれを逃す手はない。
前向きに進めばきっと事は見えてくるはず。
性根の曲がった人も、読んでまっすぐになれる文章を書きなさいと、私に文才を授けた人はきっと祈りを込めたのだ。
ひどい気性の私だけど、こんな世の中だからこそ実験をしてみる手立てがあった訳で。私は懐を大きく持たなければいけない。後世のためにも。守る人が沢山出来たのだから。
復讐なんてしてしまったことを後悔している。でも、一度お灸を据えてやる必要のある人間もいるんですよ?
私はなんだか言い訳して、今日はここまでにしようと思う。
ともすれば酷いことをするのが人間の本性の一つなら、その反面は性善説が存在するはずなのだ。
陰と陽は存在する。
ほんまもんになる必要がある。ほんまもんになるのだ。
では。