冷えた夏みかん

日々妄想、問答。

大切な人に贈る言葉が無ければ、小説なんか意味ない。

今日、私にとってその人たちが如何に大切で、そして未来を作っていくのに必要であるとか無いとかでなく、本当に繋がっていたくて、そして失いたくないのだと自分の若干ぶりっ子だけど本当の心がわかり、ある人にメールしました。

 

そしたらその人は本当に会いに来てくれて、私は嬉しくて整理していたDVDをたくさんあげようとずらっと並べてしまい、若干引かれましたが、温かに接してくれました。

 

この人たちに危害を加える輩がいるなら、私は全力でそいつらに立ち向かおう。私の持てる全ての力を使ってそいつらを追放してやろうと思いました。

 

私は少々故障しているせいか、若干脆いメンタルを持っています。今までやってこれたのは偶然の偶然というか、周りの善意のお陰です。

 

そうして思うのですが、大切な人にきちんと伝えるべき言葉を持たないなら、小説なんて書いてても意味がない、そう思いました。

 

書いてきた言葉は誰の為だった?自分だけのため?見えない誰かの為ではなかったの?

 

為になることをたくさん書いて来てから言うのも何ですが、実際の私はヘタレです。口下手で常にかまってちゃんで、簡単なことを難しく考える馬鹿です。

 

そんな私の作る壁を乗り越えて、あの人達はいつも来てくれるから、だから私はこれは幸せというんだと、お正月に赤ちゃんに渡すお金を貯金して、これも大袈裟な話かもしれませんが、気持ちを示すつもりです。

 

いつでもあげたがる所詮アホな私は、周りにいつもストップをかけていただいて赤信号を止まれています。

 

いつもありがとう、苦労を掛けてごめんね。

 

これからはずっと支えになれるように私も頑張るから。

 

家族だけじゃない、繋がれた。繋がりを持てた。

今まで聞き流していた歌が急に耳に停まるようになりました。

 

私は独りぼっちじゃない。だからこの手を放さない。

ずっと希望を語り続ける。そう誓います。

 

今日ここに、未来予想図を描いてみます。

それはきっとハッピーエンドです。

 

では。