冷えた夏みかん

日々妄想、問答。

千代ちゃんの折り紙

高校に通っています。
足利高校っていう、私立の女子高です。

隣に折原千代という名前の子がいて、私はその子が気になっています。
というのも、その子はテストで毎回百点を取るのですが、必ず他の皆が先生に呼ばれて立ち上がる中、せっせとその答案用紙を織り出します。
そして折鶴を作るのです。

なぜ百点だってわかるかって?
左側の翼のところに、いつも百点と赤ペンが踊っているからなのです。

私はよくても80点、普通で67点ほど。
友達は、いません。千代ちゃんも、いません。

帰り道、道が一緒なので、なんとなく千代ちゃんの後ろを歩いていました。すると千代ちゃんは、黒い通学かばんを開けて、ある民家の窓辺にその折鶴を置くのです。
私は通り際にのぞいて見ました。
おばあさんが一人見えました。お茶を沸かしているところです。私は少し進んで、離れて窓辺に置かれた折鶴を見ていました。

するとおばあさんは、まっすぐ窓辺にやってきて、鶴を拾うと部屋に戻りました。そっと窓から伺うと、おばあさんは縫い糸で鶴を通し、千羽鶴の要領で仏壇の前に置いていました。
そして「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏、千代がまた100点を取ってきましたよ、南無阿弥陀仏・・・」と繰り返しているのです。

「人の家の前で何してんの?」
冷たい声がして、振り向くと、千代ちゃんがいました。「千代ちゃん」
千代ちゃんは初対面といっても良い私に名前を呼ばれてむっとした様子でしたが、私の視線の先にある光景を見て、長い黒髪をブルーのパーカーにたらしながら、「ああ、あれ?」と答えました。

「家のばあちゃん。家母さん死んじゃって、毎回百点取って折鶴作ったら生き返るよって、迷信信じてるの」
千代ちゃんの家は複雑でした。
千代ちゃんのおじいちゃんは千代ちゃんが生まれる前に無くなり、母一人子一人で育ててきた千代ちゃんのおばあちゃんは信心深い人で、危ない宗教に狙われたこともありましたが、その娘と孫である千代ちゃんが長いこと守ってきたそうです。
玄関側へ回ると、その手のチラシがたくさん入っているのが見えました。
「こんなの慣れっこだよ。馬鹿馬鹿しい。そんなに拝みたきゃ先祖拝めっての」
千代ちゃんはそういってすべてのチラシをぎゅうううっと捻り、ゴミ箱に捨てました。

「で、あんたの名前は?」
「ど、同場みちるです」なぜか裏返った声になった。千代ちゃんの部屋は参考書とか、偉人殿とか本屋でよく見る流行の本なんかが四畳半に山積みで、私の少女マンガだらけの部屋とは大分違いました。
「なんてったって、百点取らなきゃ意味無いからね」
そう言ってから千代ちゃんは「あんた何時までここいんの」と尋ね、「さあ、ろ、六時半?」と私が答えると、「あ、そう」と千代ちゃんは読みかけの表紙がはさんであった本を読み出し、何もやることが無くなりました。

トイレ、と部屋を出てくると、おばあさんがいて、丁度オレンジジュースを紙のパックからコップに注いでいるところでした。
「あら、もう帰るの?」

とっさに「はい」と答えていました。
鞄を持って玄関に立つと、千代ちゃんが出迎えるために部屋から出てきました。
「ごめんよ何もなしで。でもあたしこういう奴だから」
すまなそうな笑顔に一瞬見とれてから、「いや、私こそ急にごめんね、また明日、学校でね」と、そそくさと帰ってきました。

思うに、おばあちゃんだけじゃなくて、あれは千代ちゃんも思っていたんだと思います。毎回百点取ったら、お母さん生き返るって。
千代ちゃんはその後、飛び級で三年生になり、高校を卒業していきました。
私はなぜか千代ちゃんの家に行った後、人と自然話せるようになり、一緒に帰る友達もできました。

あの家の窓辺を見るたび思い出します。2LDKくらいの小さな家で、彼女らは楽しく過ごせていただろうか。
勉強勉強の毎日が千代ちゃんを助けたことになるだろうけど、おばあちゃんはその後どうなったのか。

どちらにせよ、触れられるはずの無かった他人との生活に触れ、感触を得たことで、私の心は息を吹き返しました。

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祖母も無くなり、その葬儀からの帰り道で、一度だけ彼女を見た。
向かいのホームで、相変わらずの薄茶のくせっ毛に、紺色のブレザーを着て、友達であろう別の子と話していた。

「千代」
呼ばれて振り返る。彼が私の視線の先に気づいて、気を使って声をかけたのだ。
「大丈夫」
私は笑った。私は笑う。これからの人生を、歩むべき人たちと共に、あの空間へは二度と戻らない。

彼と手をつないだ。二番ホームに、電車が参りますーー。
乗り込んでドアが閉まる。

すれ違った人生を乗せて、山手線は走り出す。