冷えた夏みかん

日々妄想、問答。

大丈夫だよ、何も起こらない。

懐かしい話をしていた。

 

昔の話だ。

そこにいた人々の話を、していた。それから私が如何に愛情深く育てられたかを、実に深く考えた。

どんな人たちがいたかとか、そういったことは書かない。ただ、今も元気に過ごされていることを願う。

 

この世界の片隅に、と書いて、まるであの映画じゃないか笑と一人笑い泣きした。ほろりと自然に涙が溢れた。

 

言葉が出ない夜は、そっと寄り添う気持ちになって家族の傍にいる。ただ、一緒にいる。

出来るだけじっとして、余計な口を利かず、どうしているかをじっと見る。

 

昼間はただ、節制していた。この口に入る物、出て行く言葉、大切に扱わなくてはならない。溝に捨てる訳にはいかない。

 

どうしても強く出なければいけない場面が幾つもあった。

ただ、これからはそっと誰にも寄り添える人間になりたいと、そう誓った。

眠る祖母の横で

私は一連の家事を終え、今は筋トレと柔軟タイムです。

 

エネルギッシュになれた。それだけで今までの日々は意味があり、私を幸福に導いた。

 

昨夜フィギュアスケーター達を見ていて思った。

美とはストイックの頂点にあると。

 

母達がいない今は、食欲もわかないので朝はカフェ・オ・レ一杯のみ。食べると膨らむ。それよりは筋肉をつけて血を増やしたい。

 

眠る祖母の邪魔にならぬよう、そっと運動する。

 

植物への水やりを済ませ、犬の餌皿を磨いた。

 

一人でもやっていける。

それを証明したい。

忘れてはならない

私は生かされている。忘れてはならない。

 

許して頂けた、助けて頂いた、沢山の方々にご恩がある。

 

私は一生人より上を目指すことはない。ただ真剣な場では、真面目でありたいと願う。

 

様々な方の戦いの場を、これからもここから見ている。だから若い彼らに余計な茶々を入れないでほしい。

 

芸術を笑う者は芸術に泣け。

 

私の戦場は一台のテレビの前、机の上、台所と様々だ。

 

超庶民、当たり前。

女はこれくらいで構わないのだ。

過度な望みは捨て、生まれ変わろう。

 

では。

例えばここに、

例えばここに、一つの平和な家族があります。

 

あなたはそれを、壊したいと思いますか?

羨ましいと思いますか?

 

そこに至るまで、その家族は荒波を超えてきました。

とてつもない荒波です。そのせいで子供は心の病気になり、毎日悲しい思いをしてそれをなんとか盛り立てて暮らしています。

 

あなたはそれでも、その家族を壊しますか?

 

例えば、こうすれば受けるから、とサイトに上げる写真を撮りに行くことが、例え嵐の中だったりして、そんなことはお止しよ、と思うのに、言えなくて禅問答。駄目なことは駄目なのに。

 

どうしようもなく悲しいから、私はダイエットブログを作って、盛り立てて見ましたが、昼間に面白くなかった方など、これを見て慰めになるでしょうか?

もしそうだったなら、嬉しいと思います。

 

私は私の恵まれた箇所ばかり書きたいのではありません。

地上にいながら、無重力の世界を垣間見ることもできる。それを実践したかった。

私達は簡単に幸せになることが出来る。例えばそこに余計な力が加わらなければ。

 

この世は男女の仲と言い、どうしても邪陰の影が見え隠れしますが、私はそれを跳ねのけていたい。それは、邪魔だ。

日々を安泰に過ごすには、どうしても一人で生きて行くという他ないらしくて。

 

写真を載せることは、金輪際辞めます。

ただこの文章で感じて頂けるものがあればいい。それには写真は必要ない。

真心さえ伝わればいいと、そう思います。

綺麗に整ってるだけとはいかなくて

日々、思うこと。

 

どうしてこんなにも、頑張らなくてはならないのだろう?これはある一定の方から見れば、自慢ではないのか?

 

所詮恵まれている私には、過ぎた話ばかりで、何もしていないはずの人が嫌な目ばかり見る。

何もしていないはずの人が、恵まれているくせにまだ幸せへと手を伸ばすのを汚く思うように、欲望は果てしない。

 

ある人が、今現在苦しんでいる。私はその方にご恩がある。

何も出来ない、ただ祈るしか。

 

いや、触れ合えた事自体恵まれた話なのか?

だとしたら、神様はどうして彼女にあんな課題を下したのだろうか。

私がこれから、生きていく意味は。

何もかも、風の前には儚い。

 

生きている、ただそれだけで人間はいいんだ、全てのことは皆。